未来の車は、ファッションショーのように非現実の世界で

投稿日:2018年10月13日 更新日:




未来の車はファッションショーに似ているという説。

誰も知っているだろう、ショーで見かけるファッションそのままで現実の街を歩くのは、浮世離れも甚だしいという事実。

ショーでは、100倍濃縮すべきエキスの原液そのものが発表されていると考えればいい。
実際に飲むのは随分と薄めた後のもの。
それを分かった上でファッションショーを見ないと、面白さは半減する。

そこで未来の車だ。

何年先の未来の車という定義をしていなければ、10年先でも100年先でも、未来の車のお題になる。
「未来の車は絶対に交通事故がない」「地上を走るのではなく、上空を飛んでいる」
みたいなファンタジーの世界で未来の車が語られるのも道理。

現実的な未来の車、それこそ5年10年先の未来の車を想像しても面白くはないでしょう。
いっそ突き抜けた未来の車を、そしてそこから薄めていって数十年先に現実化されるアイディアを。

ファッションショーを見ていて思うのは未来の車に似ているということ。
「えぇ、これのどこが最先端ファッションなの?」という驚き。
裸を強調したもの、全身同じ色に統一されたもの、原始的な何かに立ち返っているもの。
デザイナーたちの専門的な目で見れば新しいのだろうが、古い反復そのものに見える服もある。

所詮は人間同士、新しい発想なんて数あるものではない。
昔からの基本の使いまわし、ちょっとしたアイディアで十分なのだろうね。
だから未来の車といえども突飛なアイディアを求めず、
ご先祖様たちが築いてくれたものを、私たちは大切にすればいいと思えてきた。

未来の車

あれこれと、未来の自動車のイメージに想像力を働かせる時間は、なんとも楽しいもの。

それも、自動車関連ばかりで連想する未来の自動車だけではなく、
まるで畑違いの、例えば思い切って「赤ちゃんにとっての未来の自動車」を考えてみると、
そこにはいかにも斬新な未来のドライブがあることに気がついた。

おやおや、赤ちゃんにとっての未来の自動車って何かって?
赤ちゃんを背中に乗せたパパがハイハイしている姿、それが赤ちゃんにとっての未来の自動車。
もうちょっと大きくなって、パパに肩車される時が未来の自動車なんだよ

未来の自動車の原点は、自分を乗せた物体が、自動で動くところだからね。
赤ちゃんはきっとびっくりしているよ、自分を乗せたパパがハイハイで動く時。
しかもその未来の自動車は、背中の存在が大好きだから、決して背中の主を傷つけない。
温かくて優しくて、安全配慮抜群で、それでいて楽しませてくれる。
おぉ、これだ! これこそ、未来の自動車というか、自動車が必要なものを満たしているじゃないか!
人がずっといにしえから続けてきた子供のあやし方に、未来の自動車があったなんて。

ちゃんと動くこと、そこに愛があること。
それが未来の自動車の本質だと、気づかせてくれたのは、赤ちゃんとパパの未来の自動車なんだよ。
こんな未来の自動車空想に費やす時間は、有意義なもの。
最新技術に目をとられる未来の自動車談義も悪くないけど、基礎設計をしっかり積むことで、
更に僕たちの未来の自動車は、より安全に、より快適に走れるって、そんな気がしているんだ。

未来の自動車のイメージ

工学的観点を離れて、未来の自動車を考えてみよう。
究極の未来の自動車って、一体ナニ?
自然界で見かけるものに未来の自動車を当てはめてみると、いくつか候補が見つかるね。
泳ぐ魚、飛ぶ鳥、漂う雲、流れる水、燃え移る炎、入り込む風。

どれからも学ぶ点はあるのだろうが、私が最も気にしているのは赤ちゃんを抱っこする親の腕
赤ちゃんの楽な移動を実現させて、安心安全を担保するという意味では抱っこに注目したい。
まれには抱っこから赤ちゃんを落下させて事故を起こしてしまうこともあるだろうが、
他と比べれば万能に近い未来の自動車が、抱っこにあるのではないだろうか。
決定的な違いの根源はどこにあるかな、「親の愛」だ。

これまた具体的な解決案を出すのが難しいキーワードを拾ってしまったものだ。
親の愛が完璧に近い未来の自動車を創りだしている。
電子機器と金属材料でつくられる未来の自動車に、どうやって愛を注入すればいいのか
神のみぞ知る難問、それが分かっていれば未来の自動車なんて既に完成させているよね。

未来の自動車が、運転手や乗っている人、他の自動車、それから道路周りの人たちを愛するようにすればいい。
愛する=始終気にかけて目が行き届く、ということだと仮に断定してみよう。
それを未来の自動車に置き換えてみると、未来の自動車に周囲360°を随時見渡すレーダーを搭載か

人工知能でヒト・モノを判別、危険を予測し、危険を避ける行動を即時に取ってくれるものがあれば。
未来の自動車に愛を、人工知能による自動運転がその答えに一番近いと思う。
人工知能と聞くと冷たさすら感じるが、実質は「未来の自動車が人を愛すること」なのだ。

機械に愛されるというのは躊躇があるが、未来の自動車とはそういうこと、きっとそういうこと。
未来の自動車のことをアレコレ考える日々、今日のコーヒーブレイクの最中に考えたのは「抱っこ」のこと。

未来の自動車

オドメーターが1万マイルを差した。

約5カ月乗っている車だから、年間換算すると38,400キロも運転することになるの僕?

仕事での移動が大半とはいえ、随分アメリカの車社会に付き合うなぁ。

アメリカで50年後の未来の車のことを考えてみたが、ずっと実用的なことしか思い浮かばない

アメリカの田舎町で長距離運転している経験上、何に困っているって

①土地の広さ(長距離運転)

②天候の不安定さ(突然の大雨、霧や雷、動物の飛び出しもあるね)

③ガソリンがたくさん必要(しょっちゅう給油)

となるが、これを50年後の未来の車は解決できるだろうか。

①土地の広さはスピード出せる車を作るということじゃないし、

せめて眠気を防いでくれれば良いが、50年後の未来の車の出番じゃないよね。

②の天候は頑丈なボデーとフロントガラスの視界確保だが、

ちょっと50年後の未来の車というニュアンスと異なる。

③の給油、これは燃費性向上と燃料タンクの工夫による大型化で実現できるかもしれない

こうして考えると50年後の未来の車って何?

少なくとも自動運転や事故防止、電気自動車ら未来の技術革新はずっと先、

100年後の未来の車に見えてくる。

もっと現実的な50年後の未来の車を。

より疲れず、より長く走り、より安全で、より安く購入できる

50年後の未来の車を欲している。

未来の車50年後

アメリカという合理・過密な車社会で考える「未来の車」とは。

日本にいた時とは、自分の発想が変わってきたのを自覚している。

①一人一台、誰でも実用する (他の交通手段がない、車がないと生活できない)

②走れればいい (車検はない、事故車も多い)

③安全と収入が車種に反映
   (普通にスピード出てるから事故った時、小さく弱い車ほど致死率高い)

異質なものを肌で感じていた。

仮にアメリカの地で「未来の車」とは?と人々に尋ねてみた時、
「興味がない」と一蹴されるのではないか。

日本の都市部で空想遊びされる「未来の車」談義の精神は、
カケラほどもアメリカに及んでいない気がする。


「一回の給油でもっと距離を走れる車 (燃費というより燃料タンクの大型化)」

「大雨、雪、霧、動物や車との衝突にもっと自分の身を守ってくれる車」

「同品質で単純に価格だけ安くなる車」

こんなシンプルな願いがアメリカでの「未来の車」なのではないかと推測した今の私。

少なくとも最先端技術を突き詰めた話ではない。

実用的なもの、現実味のある小改善。

未来の車社会アメリカで求められているのがそれだとしたら、
輝かしいものを未来の車に投影させていた私のイメージは、灰となって消えて失せても良い。

未来の車の機能に期待してもよいのならば、自動回送してくれる車が欲しい。

山から山へとトレイルランニングする時、複数人・複数台で行くのなら、
最初に2台でA地点に行って1台をデポして、
もう1台に乗り合わせてB地点で降り、
B地点からA地点へとトレイルランニングすればいい。

それが単独走だとどうだ。
A地点からB地点へ走ると、帰りはその真逆のB地点からA地点へ走るしかない。

ただね、どうしても同じ道を往復するのは同じ景色・道だから、つまらない。
そこはどうしても妥協できないポイントなんだ、トレイルランナーにとっては。

だから未来の車に自動運転機能が発達すれば、
指定したB地点に車だけで自走して欲しい。

B地点の指定駐車位置にぴたっと止まるのは難しいのだろうが、
大なり小なり難はあっても、 未来の車には
とにかくB地点付近に車が一人で移動して駐車していて欲しいのだ。

未来の車には、自動回送ができる機能があるといいな。

運転手なしでA地点からB地点までどうやって走るのか。
B地点では何を目印に、どんな場所に駐車すれば安全なのか。
それが僕にとっての未来の車。

問題は山積だろうが、きっといつの日か、未来の車は自動回送機能を叶えてくれる。
願えばいつか叶う法則にすがるように、イメージだけの遠い夢に想いを馳せる僕さ。

50年後の未来の車の進化、ねぇ。

そんなキーワードで検索しちゃって、あなたはよっぽど、自動車がお好きな方。

50年後には、未来の車はどんな進化を遂げているのでしょうか。


未来を知るには、過去から。

逆に50年前って、まだ車の創世記。

それが50年で、電気自動車や燃料電池車が現実性を帯びるまで

進化してきたのだから、これって凄いこと。

2000年かけて、人はどれだけ進化してきたのかな?

ここ50年の進化は加速度的だけど、

昔の50年の進化ってあまりスピード感はない。

だから、次の50年に車の進化を求めようとする、あなたの心って、

人間の進化の歴史からすれば、いびつなものだよね。

と堅いことを言いましたが、将来の車、50年後の車って、僕も気になります。

僕は推測しよう、50年後の車の進化は人が運転していない、と。


あなたは高速道路に乗ると、自動ドライブモードに切り替えて、

シートを倒して眠りに入る。

行き先だけセットしておけば、あとは高速道路の出口まで、

未来の車に内蔵されたコンピューターが、

事故なく、高速で、正確にあなたを運んでくれる。


一般道路ではまだあなたが運転することもあるでしょう。

飛び出しや衝突物が多い街中にはコンピューターがクリアできない問題がまだ残っている。

高速道路網は全くの静音となり、

地方や住宅街までびっしり整備されているようになっている。

手動運転ゼロというゴールはもう近い。


最小限の人力、最大限の自動化。

人間の判断ミスは50年後にも残るから、

50年後の車の進化コンセプトは、「なるべく人に任せない車」

ということになる。

1769年 蒸気自動車が発明される
1870年 ガソリン自動車が発明される
1908年 アメリカで大衆車が発売
1970年 日本でも自動車が普及
2019年 誰でも自動車持てる時代

すごいよ、人間って。 わずか200年の間に、

人力車から、コンピューター運転車までの進化を遂げていったのだから!

そうそう、車って人が運転すべきものじゃないって、

そう世論が行き着いた先が、50年後の車なのだよ。







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