アメリカの芝刈機








彼は押すタイプの芝刈機でひとしきり前庭の伸び切った芝生を刈り終えると、

細かい部分に刃が届く小型の手持ち電動芝刈機に持ちかえて隅っこや芝刈機が入らない場所の草を整え始めた。

その様を見て、理髪店の方が切り残りを調整するために小さなハサミに持ちかえる姿を連想していた。


いつもはテキトーで、ゴミ分別は全くしなくて、家の壁際は隙間だらけで、車の運転もワイルドで、

まるでおかまいなしの大雑把なアメリカ人なのに、そんなに芝刈機だけはプロ職人のようなこだわり

持っているのね、と分かったら、呆れるのを通り越して何だか笑えてきた。





美しく整った芝生は野生のリスやウサギを呼び込むのなら分かるけど、

実は除草剤を散布させて雑草を拒否し、芝生だけをPureに育てたアメリカの芝生に動物が吸い込まれているのではない。

むしろ逆に人工的天然芝生には野生動物が近付くことはない。


やることなすことみなアバウトなアメリカ人の彼にもそんな精密な仕事ができるのだと発見できたことが、

嫌味ではなく、この芝刈機トークでの最大の発見だった。

そのやる気を日本料理の下ごしらえに使ってくれないかな、なんて空想している私。

美学って、生来植え付けられている文化風習って、制限を振り切るのね。





青い芝生を愛でる気持ちなら、アメリカ人の彼は大きなものを持っていて、

そんな側面を見せつけられるとアメリカの芝刈機には一目置かないといけないって、本気で思った。


ところ変われば、日本の都会の満員電車も日常だと思う人、アメリカの芝刈機の労力も不可欠と思う人、

その場所にずっと住んでいれば突出を突出とは気が付かない。

そこに楽しみを、美学を見出して生きて行くしかない、それもその土地の文化なれば。


だから、アメリカの広い後庭もわずかに嬉しそうな顔をしながら、大小の芝刈機で磨き上げていく彼の姿を受け入れようと思った。