奈良の大仏の大きさ 造立当時は全身金色の輝きで存在の大きさ倍増!

投稿日:2013年10月21日 更新日:




奈良公園の中心、東大寺の大仏殿におわすは、奈良の大仏様。

日本諸国に点在していた国分寺を統一するために造られたのが東大寺。
当時の日本のトップ・聖武天皇が、抗争する勢力を収め、人心を統一するために造った奈良の大仏様

その大きな意志を受けて、造立当時の奈良の大仏様の全身は金色に輝いていた!
奈良の大仏様の大きさを示すための全身ゴールド、なんとありがたい光なのだろうか。

幾度もの焼失・修理を経ている奈良の大仏様だけど、右腋・腹部・両脚部には、
今だに天平時代の部分が残っているというのだから、その長い歴史にひれ伏したい想い。

奈良の大仏様ができてから千三百年の間、一体どれだけの参拝者が、
あの奈良の大仏の大きさ度肝を抜かれ、手を合わせたことだろう

山野を歩いて奈良公園に入ってきた昔の旅人たちが、華々しい東大寺を眩しく感じるのは分かるけど、
指先までデジタル、スマートフォンに無限の情報量を収めた僕たち現代人でも、
東大寺を訪れたら人間の根本的な部分で、奈良の大仏の大きさには魂を打たれてしまう

なんて大きな、なんておおいな存在なんだろうか、奈良の大仏様。

奈良の大仏大きさ

 

今日は東大寺大仏殿で、奈良の大仏開眼セレモニーに行ってきた。
西暦752年4月9日のこと、忘れられない記憶だからこうして日記に残しておこう。
奈良の大仏の大きさには「驚き」以外の言葉が見当たらないよ。

身長15mの仏像を造り上げた仏師たちの仕事振りに無数の拍手を送っておいた。
お披露目された奈良の大仏は、全身に黄金色をまとい、極楽浄土を体現していたんだ。
きっと1,000年後には色が落ちていることだろうが、新品の奈良の大仏はゴールドに輝いていた

奈良の大仏開眼セレモニーも、ぶっ飛んだイベントだった。
何しろ全国から1万人もの僧たちが集まったのだから。
東大寺大仏殿の横幅が凄かった、1,000年後には焼失等で間口の横幅が2/3程度に縮小されると予想するが、
創建したばかりの東大寺大仏殿は、どの城郭よりも立派で、美しく、ありがたいもの。

それもこれも聖武天皇の絶対権限によるものだ、こんな建造物は後にも先にも数多くはない。
他に比を見ない大きさの奈良の大仏、本当にこれで全国に平和と豊作が訪れるような気になった。

超高層タワーマンションとか、等身大ガンダムとかがない時代に造られた奈良の大仏。
その大きさは時代の最先端、先進国である中国にもない驚異の技術。
5丈3尺5寸=16メートル、という奈良の大仏の大きさ、その大仏開眼セレモニーの日記だよ。

 

東大寺大仏殿 奈良の大仏 開眼セレモニー

悪党・松永弾正の狙いは明確、東大寺の大仏の大きさを小さくすること。

三好三人衆と筒井順慶が束になって攻め込んでこようが、
頑強な信貴山城・多聞山城が陥落するものか。
この機を逃さず、最近特に生意気な東大寺の勢力を削いでやる。

東大寺の大仏の大きさにも畏敬を示していない松永弾正は、一計を案じていた。
興福寺や東大寺でさえも相手方と結託し、東大寺大仏殿にまで敵軍を引き入れている。
松永弾正は折を見て、夜討ちを仕掛けて、
東大寺大仏殿付近に本陣を張っていた三好三人衆を襲った。

しかし狙いは敵兵の掃討ではなく、大仏殿に火を放つこと。
前線で戦う兵士を支援するのではなく、後陣の弓隊は次々と大仏殿に火矢を射かけた。
恐るべし、悪党・松永弾正!
聖武天皇から続く東大寺大仏の大きさに意味を見出さず、むしろ憎み、火をかけるなど!
敵兵から襲われたため、正当防衛をしただけ、という理由を考えつつ、
戦場のどさくさに紛れて、東大寺大仏の大きさを縮めてしまおうなど、誰が思いつくことか。

この東大寺の戦いによって、頭の部分を失い、大仏殿を全焼し、雨ざらしになった
東大寺の大仏は大きさを失い、それはつまり、東大寺の権威を落とすことになった。
自分の意のままにならない東大寺に対しての、松永弾正なりの仕打ち。
東大寺大仏殿の戦いというこんな事件もあって、現代の東大寺の大仏は大きさを復活しているんだ。

これからの時代、同じような争いに巻き込まれたら一部焼失だけでは済まされないよね。
ミサイル一発で、東大寺の大仏は痕型もなくなってしまう。
だから、今のうちに見ておこう、拝んでおこう、東大寺の大仏の大きさを。

東大寺の大仏の大きさ

東大寺の大仏の大きさが怖い、あの15mもある図体、大きな顔で見つめられるのが怖い。
三好三人衆の恐怖は、勢いに任せて将軍・足利義輝を殺害した時から増幅している。
道理に反した事もすることで、なんとか勢力を拡大してきたのだが、
夜な夜な、三好三人衆は悪夢を見るようになっていたのだ。

それでも政敵は倒さねばならず、大和の松永久秀を追いつめるべく、
東大寺にまで兵を進めるまでは良かった。
東大寺大仏殿に本陣を取り、明日の決戦を前に束の間の休息を取る。
三好三人衆は東大寺大仏の足元で仮眠を取ることにしたのだが、その場所が怖い、怖い。

あの東大寺大仏の大きさが自分の良心の呵責となり、心の隙間に迫ってくる。
大仏の大きな身体が自分の上に迫ってくるような恐怖に襲われ、眠るどころではない。
お前は自分たちの欲望のために、多くの人々を殺めてきていないか?
東大寺の大仏は、その大きさで全てを見抜き、悪党どもに自責の念を投げかけてくる。

丁度その頃、松永久秀の夜討ちがあり、大仏殿付近がざわついてきた。
火が放たれ、銃声が鳴り響き、兵たちの掛け声が辺りに聞こえる。
恐怖心に冷静な判断を狂わせた三好三人衆が、誤った指令を出してもおかしくない。
「良いか者共、今からこの東大寺大仏殿に火を放ち、
敵の動揺を引き出した後、敵城まで攻め上がるぞ!」

東大寺の大仏の大きさが怖くて、怖くて。
これが史実かどうかはさておき、この時の三好三人衆と松永久秀の東大寺の戦いにて、
東大寺大仏殿は焼失し、東大寺の大仏の頭部も戦火に失っているのだ。

東大寺の戦い奈良の大仏

奈良東大寺の大仏の大きさを想う時、真っ先に思い浮かべるのは、聖武天皇のこと。
身長が14.98mもある奈良の大仏、そんな大きさを最初に企画するのはもう常識はずれの行動。
当時は8世紀、特別便利な道具もない中で14.98mもの大きさの大仏を造れと命じるなんて。
途方もないムリなんだ、全てが手作業、人力で賄うのだから、その作業量と費用ときたら、物凄いこと。

1,300年前からこの大きさで、奈良の大仏は東大寺大仏殿に鎮座しているのですよ!
僕たちが今、修学旅行や大人の遠足で奈良公園を訪れ、
ふーん、どうせ奈良の大仏だって大きな工場で機械がポンポン造ってくれるのだろう、
って考えたとしたら、大きな間違い。

8世紀の奈良大仏造立当時、発案者の聖武天皇は民衆から責められている。
奈良大仏の造立命令が、財政を圧迫し、民衆に無駄な労働を強いている、と。
ちょうどその頃には大きな疫病が流行し、大小様々な内戦に民衆は苦しめられていた。
聖武天皇はそんな時だからこそ、民衆を救済したいという思いを込めて奈良の大仏を造ったのだろうが、
民衆は先じゃなくて今を救って欲しい、と思うのも当然のこと。

全国の国分寺のトップを東大寺にして、全ての苦しみから解き放ってくれる存在を造る、
それは聖武天皇なりに必死な願いを込めたのが奈良大仏、だからあの大きさになったのだろうが、
評価されたのはずっと後のこと、造った当時としては無駄な公共工事。

東大寺大仏の大きさ14.98mには、聖武天皇の切実な想いが詰まっている。
大仏殿を訪れるとき、君もそんなことを思い浮かべながら歩いて欲しい。
遠い昔の遺産、造った当時の判断は正しいか分からないが、
その遺産を1,300年守ってきた日本人の心は美しいものだから。

奈良大仏写真

奈良の大仏様の大きさ には圧倒された、と君たちは口を揃える。

その言葉に裏はなく、身長15mの大仏を見上げると信じられない世界。

端正なお顔立ちには手が届かない、雲の上の存在、
我々を頂上から見守ってくれる仏様。


我に返ろう、奈良の大仏様の大きさ の衝撃にどう向き合えばよいのか。

近鉄奈良駅から奈良公園沿いに歩いてきた私は現代の申し子、
都会の高層ビルにオフィスがあり、自宅も高層マンションの一角。

だから日常が大きな・高い場所に慣れている、そんな私は果たして正常だろうか?

忘れ難い思い出がある、柳生の里から奈良公園へ歩いた時のこと。

奈良への道は幾つかあるが、柳生街道から滝坂の道を通じて春日山へ入った。

定かではないが鎌倉時代からの主要道、今はもちろん粋狂な歩き人しか知らない古道。

全てが手作りだった時代の名残が色濃い柳生街道、大きな建物なんて当然ない。

何時間も山道を歩き通した末、春日大社を経由して東大寺に着いた時の驚きときたら。

「なんて華のある街なんだ・・・」

そして奈良の大仏様の大きさ に対面したとき、私の驚きは恐怖、
あるいは脱力に変わった。


もう何も考えられない、こんなに大きい人工物、しかもそれが仏像だなんて。

自然界、個々の人間の力では創造が叶わないものが、奈良の大仏様の大きさ だった。

現代の人間生活の続きで見ても新鮮な奈良の大仏様の大きさ だが、
昔の生活を疑似体験した後でお逢いする奈良の大仏様は、もう夢の向こうの空想物。

奈良の大仏を考える、見方を変えればますます大きな大仏様だったということ。

千年前も、千年後も不変のインパクトがある奈良の大仏の大きさ。

 

かえすがえす、奈良の大仏の大きさ には、聖武天皇の鉄の志を感じる。

743年に造る詔を出してから、
実際に東大寺で奈良の大仏が完成したのは752年。

計画を経て、鋳造の工程だけで5年がかり、
費用はおよそ15億円という、当時としては天文学的な数字。


奈良の大仏の大きさ は14.98m。
耳の長さだけでも2.54mあるなんて、まさにビッグボーイ・奈良の大仏。

滋賀の紫香楽宮で、聖武天皇は考えていた。

どうしたら、当時の大国・中国に対して、
日本文化が独自性を確立したことを示せるのか、と。

それはすなわち日本の国力を証明し、中国からの侵略から守ることにつながるのだ。

たどりついたのは、奈良の大仏の大きさ。

日本だって素晴らしい大仏やお寺を造れることが立証できれば、
 「東夷」なんて差別的な呼び方を打ち払い、立派な国家として認められるはず。

聖武天皇の悲願だったのだよ、奈良の大仏の大きさ は。
そんな背景によって奈良の大仏は前代未聞の大きさを要求された。


天平時代には、5丈3尺5寸(16m)が奈良の大仏の大きさだったという記録がある。
これを完全に人の手作りで造った、という点に聖武天皇の強い心が顕れている。

平安時代の855年、大地震によって奈良の大仏の頭部が落下、861年に修理完成。
1180年の平重衡の兵火、1567年の三好・松永の戦いで、それぞれ奈良の大仏は部分的に焼失している。

現存の奈良の大仏の頭部は、江戸時代に造られたものだし、
体も脚も途中で修復されているから、正確な大きさは数字にできなく、幾つも数字が出る。

奈良の大仏殿は、創建当時には今の1.5倍もあったという。
江戸時代の大修理で巨木が手に入らず、正面の幅を30m縮小し再建されたとか。


数奇な運命を経て、現代も奈良公園に鎮座する東大寺の奈良の大仏の大きさ は、
数字でも言葉でも表現しきれない、貴重な1,250年の軌跡。

どこまでも続いて行く、永遠のリレーであって欲しいと願って止まない。

 

 

アメリカでは、人が手で作るハンバーガーは大きいけれど、
奈良の大仏のような、人造物は大きくない。
自由の女神!と思ったけど、あれはフランスから贈られたもの。

信仰の対象は大きさとは関係がないのだろう。
日本は食べ物に大きさはそんなに求めていないけど、
信仰の対象には大きさを割り当てて、そして自分たちの手で大きなものを作ってしまう。

奈良の大仏だって、当時は機械がないから、
15メートル超のあの大きさを職人や民衆の力を使って作ってしまったのだから。

大きさに対する意識は、アメリカと日本では何かが違う。
違うけど、やはり大きさはインパクト。
そして、大きさと品質の両立が大事だ。

  • 大きさと品質が、どちらも 小 なら「素人」
  • 大きさと品質が、どちらも 中 なら「プロ」
  • 大きさと品質が、どちらも 大 なら「アート」


アメリカのファイブガイズのようなボリューム系・かつ本物系バーガーはアートか。
マックは値段と品質のバランスが良いプロだ。

奈良の大仏はこの指標にするとどうなるのかな。
大きさはかなりの上、品質は最高峰、つまりアートの域だ。
そんな奈良の大仏だから、日本中の観光客から好まれている。

 







Copyright© Memo , 2020 All Rights Reserved Powered by AFFINGER5.